「女」って面倒。でも楽しみたい。

恋愛ガイド・編集ライター・保育士の藤嶋ひじりのブログ。思春期女子の3人の娘と二人目のパートナーと暮らしています。中身がオヤジだからこそ「どう女を生きるか」を模索しつつ生きています。

「あさが来た」のように母と娘にも相性はある

〜血の繋がり=共感者、ではない〜
   

わが家は、母子家庭だ。
再婚はしているが、彼は父親ではない。

母ひとり、娘ひとり。という母子家庭の母娘は、
一卵性母娘という言葉に代表されるように
価値観を引き継いでくれたり、母親に優しい娘が多い。
娘が小さいうちから、母が娘に相談しているケースも。
 
わが家は全然違う。
 
NHK連続テレビ小説『あさが来た』のあさと千代じゃないけど、
私は長女と合わなかった。
 
私は、彼女たちに自分のことを相談したことはない。
家族全体のことで、彼女たちの意見を聞くことはあるが
結論を自分である程度考えてから家族会議に臨む。
 
彼女たちに話を聞いてもらうことすら、あまり無い。
いつも彼女たちの話を「聞く側」にいる。
 
 
 
私自身の母が、いつも話を聞いて欲しがる人で
「娘は、母の話を聞いてくれるもの」という固定観念があり
それがしんどかった。
 
晩年には、母を訪ねると、待ち構えていたように
話の洪水を浴びせられた。私は少しずつそれを避けた。
今思うと、かわいそうなことをしたな、とも思う。
 
母の話題は、いつも愚痴や批判だった。
楽しい話題や、クリエイティブな話題は1割にも満たない。
いつも誰かを批判し、文句をいい、私にアドバイスした。
 
そして、自分の愚痴や批判に同意して欲しがる。
聞いていると、自分がゴミ箱になったような気分になる。
 
彼女に賛同しないと機嫌が悪くなるので
私はいつも彼女の物語のエキストラのような気分になった。
 
異なる意見や、異なる考えであることを
ことごとく嫌がられた。
 
そのために、娘たちには自分の愚痴はもちろんのこと
話をあまりしないようにしてきてしまったのだと思う。
 
それがよかったのかどうかはわからない。
 
いつも母を思ってくれるような娘を持つ人を見ると
やっぱりときどき羨ましいなぁと思う。
 
うちの娘たちが、親である私に批判されることを恐れず
安心し切って、自由な振る舞いをしているのを見ると
彼女たちのことを羨ましいと思うこともある(笑)。
 
もう少し、自分の味方でいてくれるように
マインドコントロールしておけば
自分の味方になってくれたのかもしれないが
恐らく、これだいいのだ。
 
母と娘。
親子だけど、血がつながっているけど合わないこともある。
 
昔は、「母なんだから、わかってくれるはず」だと思った。
何度もトライしてみて、
母が決して異なる価値観を認めないと知った。
 
母は「話し合いましょう」とよく言っていたが
母のいう「話し合い」はいつも、母に同意することだった。
話し合う前から、ベクトルが決まっていた。
話す言葉をどんどん失った。
 
私も、長女とは合わないことが多かったが
違うなりに、愛していることは伝わっているようだ。
彼女なりに成長して、今は、仲はいい。
 
母と娘だから、わかるはず。
母と娘だから、共感できるはず。
 
そう思わなくてもいいと思う。
むしろ、ナナメの関係のほうが気が合うことも多い。
私も、叔母とのほうが話がしやすかった。
母にとっては、それがまた嫌なことだったのだろうけど。
 
血の繋がりは大切だ。
大切にはしたほうがいい。
でも、「理解」や「共感」はまた別だ。
 
無理をしなくてもいいし、期待し過ぎても執着となる。
 
特に、娘の成長を応援したいのなら
自分を批判する娘のことを、そっとそのまま
放置しておいたほうがいい。
 
同性の親を否定し、批判し、乗り越えることが
思春期の成長過程として、自然なことだから。
 
 
 
私は、今の夫や、友人など
周囲に気の合う魂の繋がりを感じる関係があるので
今後も、そこで話を聞いてもらえる環境を
築いていけたら、それでいいと思う。
 
理解者は、意外にも
血のつながらないところに存在する。